PsyTouSan’s LAB

アプリ開発に関することから、くだらないことまで。

なぜ原神に課金をしたくなるのか。単なる射幸心なのか?

最近、原神にはまってしまい課金してガチャを引こうか悩んでいる。なので、原神を始めとするソシャゲ課金をする事は愚かなのかを考えることにした。その考えの記録としてここに刻む。


ここで、一つ定義しておきたいことがあります。ここで言うソシャゲとは課金要素を含むゲームとします。具体的な、「ソシャゲ」の分類とか意味はここでは問わないものとします。
また、誤解のないように記しておきますが、決して課金をすることが悪いことと言うつもりは一切ありません。
加えて、日常的に重課金をしているほど余裕のある方に向けて書いたものでもありません。
また、これまでの課金総額は3000円程度であり大金を貢いだ経験は一切ないので、重課金から抜け出せず悩んでいる方のアドバイスにはならないと思います。
あくまでも、ガチャを引きたくて課金をしたいと悩んでいる学生の独り言としてお考え下さい。


さて、本題に入ろうと思う。
私は、これまでにガチャを引くために課金をしようと考えたことがない。課金をしたことがないといっても、いわゆるお得パック的なものは何度か購入したことがある。ただ、欲しいキャラがいて、そのキャラクターのために課金しようと考えたことがないということである。さて、どんなゲームに課金しようと考えているのかと言えば、タイトルからもわかる通り「原神」である。知っている人も多いだろう。今年の夏ごろに原神を始めて、なんだかんだプレイしてきたが、キャラクターデザインも優秀だし、モーションもかっこいい。それに、キャラクター一人一人にしっかりとしたストーリーが設けられており、親近感を感じることができる。そして、自分好みのキャラクターが登場したことで、割と大きめの額を課金しようと考えるようになった。しかし冷静になって考えれば、課金をしなくても十分に楽しめるコンテンツである。原神はオープンワールドであり、フィールドも広大である上に、そこら中に宝箱が眠っている。さらに、定期的にイベントが行われたり、イベント限定のストーリーも楽しむことができる。なので、別に無課金であろうと微課金であろうと、十分に楽しめるコンテンツに仕上がっているのは確かだ。それなのに、なぜ課金をしたくなるのだろうか。その理由について考察してみようと思う。

課金のメリット

課金をすることでゲームを有利に進めることができるのは言うまでもないが、ここでは、課金をすることの意義について考察する。
課金をせずに普通にプレイする場合、原石(いわゆる石)をまぁまぁの量しか貰うことができず、それは決して多い量ではないだろう。そして、この原石というのは、ゲームをするうえで非常に重要な役割を果たす。その最たるものがガチャの存在だと思う。この記事で述べる「課金」をすることによって、リアルマネーを代償に原石を手に入れることができる。

好きなキャラでプレイできる

正直、この理由が一番大きい。自分が格好いい、あるいは可愛いと感じたキャラクターは、ぜひ手に入れたいと感じるのが正直なところだ。しかも原神の場合、手に入れたキャラクターは画面内で歩いたり、走ったり、飛んだり、泳いだり、壁を上ったりする。さらに、どのキャラクターも個性的なスキルや行動、ボイスまでしっかりとついている。

強くなれる

ガチャを引くと強くなれる。例えば、スキルや大技が非常に強力なキャラクターであれば、それは是非手に入れて、敵を楽に倒したいと思うかもしれない。
敵を楽に倒せて、何か良いことがあるのかと問いたくなるかもしれない。しかし、このゲームにはエンドコンテンツに相当する要素がある。原神をプレイしている方なら分かるかもしれないが、そのエンドコンテンツ相当の要素とは、「深境螺旋」のことである。この深境螺旋に登場する敵はどいつもこいつも強敵で、生半可な育成では決して突破できるものではない。そこへ、強力なパーティを組めるキャラクターがいたらどうだろう。あるいは、既に所持しているキャラクターをもう一度引き当てて、強力な凸効果を得ることができたらどうだろう。簡単、とは言わないまでも、そこそこ楽に攻略できるようになると思う。

プレイの幅が広がる

プレイの幅が広がるというのは、そのゲーム性を非常に豊かにしているものと思える。例えば、一発で見たことがないほど桁外れなダメージを出してみたり、一瞬にして周囲の敵に大ダメージを与えて殲滅したり、アタッカーバーバラのように世間的にはサポーターとかヒーラーと位置付けられているキャラクターを無理やりアタッカーとして運用したりするのは、ロマンがあるし、そのキャラクターに対する愛情を感じることができて、すごく面白いと思う。
でも、これをするにはやはりガチャを回してキャラクターを手に入れるところから始める必要がある。そもそも、キャラクターを持っていなければ、そういったプレイやパーティ編成は組めないのだ。

課金のデメリット

次に、課金のデメリットについて考える。

飽きた先に残るは"虚無"

私が、課金に対して消極的な姿勢を示す最大の要因がこれ。のゲームに課金したところで、ガチャは引けるが物体として残るものは何もなく、ただの虚無である。もし、ゲームに飽きた場合、これまでの課金が単純に無駄になると考えると、どうしても尻込みしてしまう。

お金にはもっと有意義な使い道がある

少なくとも、Youtuberで原神の動画を投稿している方ではない限り、わざわざ多少のランダム要素をふくむガチャにお金をつぎ込む必要性は感じられないということである。とはいえ、むやみに宝くじやパチンコで散財する人よりはましだとは思うが。要するに、ランダム性のあるガチャを回すより、お金を払えば確実に手に入る娯楽(旅行、スポーツ、カラオケなど)、のほうにフォーカスすべきではないかと考えると、これまた尻込みしてしまう。極めつけには、結構の額を課金した後に冷静になって振り返り、その金額で何ができるだろうと考えてしまうと、なかなかの地獄である。

何が課金欲を搔き立てるのか

射幸心

ガチャである以上、この射幸心という感情を語らない訳にはいかない。これは、「次はもしかしたらうまくいくかもしれない」という、苦労をせずに思いもしなかった利益を期待することである。これは、ソシャゲのガチャだけでなく、宝くじ、パチンコや競馬といったギャンブルでも応用されている。ただ、原神やその他ソシャゲには、親切に「天井」という概念が用意されている。なので、ある程度の金額を費やせば、欲しいキャラクターが確実に手に入るのだ。なので、先に述べたようなギャンブルに比べたら、よっぽど親切である。そもそも、なぜ人間は不確定な要素に対して、利益を得ようとする期待を抱いてしまうのかという疑問がある。現状、ゲームを楽しくプレイできているのであれば、わざわざ不確定な要素にエネルギーを注ぐことはせずに、もっと他の部分にエネルギーを注いだほうが良いように思える。しかし、射幸心を煽られて課金をする人がいるのも事実である。はっきりとした目的がない場合は、射幸心を煽られようともお金を消費するのは良くないだろう。基本的に後で後悔するパターンが多い。しかし、単なる損得でゲームの課金要素の良し悪しを考察するのもよくない。

キャラクターの魅力

課金をする際に一番重要視するのは、やはりキャラクターの魅力だと思う。キャラの性格、ビジュアル、モーションやスキル、大技などにキャラクターごとの個性的な魅力がある。もし、自分に刺さるビジュアルのキャラクターだったり、キャラクターの個性が自分好みであったりすれば、欲しいと強く思うのは当然と言われれば当然だ。さらに、ゲームである以上、キャラクターごとに適した運用方法がある場合が多い。原神であれば、元素爆発効果中に受けるダメージが増加する代償として攻撃性能を上げて緊張感を楽しんだり、無類の回復力でパーティを手厚くサポートするゾンビ戦法で戦ったり、圧倒的な攻撃範囲と爽快感で無数の敵を葬る戦い方などである。

期間限定という仕様

私は、単純な射幸心と欲求だけが、課金欲を促進するものではないと思っている。それが、期間限定ガチャである。しかも原神の場合、期間限定ガチャの機会を逃すと、次に復刻ガチャとして登場するがいつなのかわからない。なので、期間限定という仕様が創り出す時間制限からくる焦りが原因の一つとも考えられる。

絶対的に"悪い"課金とは

メリット、デメリットだけを並べてもなかなか良い結論は出ない。なので、これだけは許せないとされる"悪い課金方法"について考察する。次に示した内容のものは、最終的に悪い結果を生みかねない課金の仕方について考えたものである。

目標の無い課金

例えば、たいして目標が立っていないのに課金をするのはよくないと思う。単純に散財するだけだし、仮に散財して強力なキャラクターを手に入れたところで、その幸福感というのは一瞬に過ぎないと思う。なので、何か目標を持った状態で課金をするべきだと私は考える。例えば、ピックアップのキャラクターを手に入れるまで、とか天井一回分引くまで、など。

撤退ラインの甘い課金

課金を始めた後に諦めるのはなかなか苦渋の決断となるかもしれない。しかし撤退ラインを設けなければ、極端な散財を起こしかねない。要するに、「ここまでガチャを引いても、欲しいものが手に入らなければ諦めよう」という心である。これは、原神やその他ソシャゲに限った話ではないと思うが、欲しいものが手に入らずにダラダラと散財してしまう可能性もないわけではない。この段階に入ってしまうと、冷静な判断は下せないため、それよりも前に撤退ラインを決めておけば良いだろう。

計画性の無い課金

これは、目標の無い課金に少し似ているが、目標を達成するために必要な金額がどれくらいなのかを検討した方が良いということである。原神の場合、必要な原石の数と手に入る予定の原石の数の差を取れば、いくら課金すれば欲しいキャラが手に入るかがわかる。めっちゃ簡単ですね。この「手に入る予定の原石の数」というのは、ガチャ期間終了までに手に入る原石のことであり、空月の祝福とか天空紀行を購入する場合は、それらも考慮するといいでしょう。

生活に支障をきたす課金

これは、たまにニュースや記事に取り上げられるタイプの課金であるが、これは良くない事態であるのは言うまでもない。メディアでよく取り上げられているのは、相当な額を課金して日々の営みに苦しむ人間についての記事だ。この状態に至るまでつぎ込んでしまうのは良くない課金だ。

楽しめない課金

これは私の個人的な意見になってしまうが、課金してガチャを回した結果が芳しくない場合、精神的に厳しい部分があると思う。娯楽の一環としてソシャゲの課金をするとなれば、お金を費やす以上、しっかりと楽しくあるべきであろうと思うし、そっちの方が費やしたお金も報われる。なので、どのようにしてガチャ課金を楽しむかということも考えた方が良さそうである。

"良い課金"とは何か

上に示した項目が、悪い課金とするのであれば、良い課金とは何か。それは、目標を立て、撤退ラインを設け、計画的に課金し、生活に支障が出ない程度に、楽しく課金すればよいということになる。しかし、この中でも「楽しく課金する」とはどういうことなのかについて考えたい。どうすれば、楽しく課金できるのだろうか。

友人に引いてもらう

課金してガチャを引くにしても、自分が淡々と引くのではなく友人に引かせるのはどうだろうか。それも、同じゲームをプレイしている人の間でガチャをすれば、さぞ盛り上がると思う。もしかしたら、欲しいキャラクターが手に入るかもしれない、という緊張感を友人と共有できるので楽しいだろう。それに、一人で引いて落胆するよりも精神的ダメージは少ない(ような気がする)。

目標達成が約束されている

友人とガチャを引くのは良いが、結構な額を課金し、他者に引かせておいて最終的にお通夜状態になるのも良いとは言えない。なので、天井確定分まで課金して原石を確保したりすれば問題ないかもしれない。

後で後悔しない課金

結局のところこれである。ガチャ課金をした挙句、欲しいキャラクター(もしくは武器)を手に入れることができなかったときに、一番のショックを覚えるかも知れない。これを避ける解決策としては、

  • 手に入れるのに必要な原石の数を計算する
  • できるだけ少ない金額で手に入れようと思わない

正直これくらいしかないと思う。いくら安く手に入れようと考えたところで、課金対象がランダム要素である以上、いくら課金すれば手に入るのか正確な値はわからない。その上、後悔する可能性は非常に高いので、後悔しない努力をしようと思っても難しい話だ。しかし、後悔するにしろ、その度合いを軽減できればそのほうが良いと思う。これらからいえることは、ガチャ課金をする場合ある程度決心をしてから行った方がよいだろう。そっちの方が後悔をしないというよりも、ずるずると沼にはまって後味の悪い課金をする可能性は低くなると思う。

課金に対する世間の目

課金をすることに対して肯定的な姿勢を示す人はあまりいないと思う。彼らの多くは、「罪悪感を覚える」なり「ゲームごときに課金など情けない」なり「喪失感を覚える」など、ネガティブな意見を抱いているだろう。私もそう思う。少し前までは、あらゆる大人達に「ゲームをすれば馬鹿になる」、「馬鹿にゲームは創れない」と言われる始末で、大人達のゲームに対する印象は散々なものであった。しかし、今となってはゲーム主体の大々的なイベントを開催したり、テレビでも大会の生中継を実施したり、その他ゲーマー向けのサービスも発展してきており、ゲームに対する世間の目は見違える程変化し、ある程度の地位を獲得してきているように思えた。ただ、ゲームとは所詮遊びであり、そんな遊びに対して多額の金額を費やすのは、どうしても気乗りしない。ただ、よく考えてみれば、遊びにお金をかけること自体、別に変なことではないと思う。むしろ、タダで遊ぼうだなんて言語道断であろう。何をして遊ぶにも、お金がかかるのはおかしいことではない。そう考えれば、例えばスポーツを楽しむために投資したり、アニメを見るためにサブスクリプションを契約したり、好きなアーティストのライブに行くためにお金を費やすことは罪悪感を覚えるだろうか?

罪悪感を覚える理由

お金を投資する対象が、ガチャであることが問題であると考えられる。結局のところ、ガチャというのはランダム要素であり、場合によってはこちらが損することもあり得る。それを考えると、ゲーム課金に対して否定的な態度をとるのも分からなくもない。

ゲームの購入は問題ない

ゲーム課金と言っても、これはゲームを購入することとは訳が違う。ゲームの購入とは、ゲームそのものを購入することであり、ランダム要素は一切存在しない。これに関して否定的な意見を持つ者は多くないと思う。少なくとも、ガチャ課金と比較すれば肯定的な意見を持つ者が多いと思う。
これから分かることとしては、ランダム要素が介入する課金は罪悪感を覚えやすいということだろうか。

課金以外のお金の使い道

ゲームに課金することがくだらないというのであれば、普段のお金の使い道はくだらなくないのか?例えば、ふと立ち寄ったコンビニでちょっとした散財をすることはくだらない事なのか?人間は意外にも、散財という行為に対してをあまり意識をしていない場合が多い。また、意識してお金を消費している場合でも、合算すると想像よりもお金を使っているという事実に驚く事もある。私もそうだ。こう考えると、くだらない散財というのはゲーム課金に限った話ではないかもしれない。むしろこうして、消費に対してしっかりと考える場合の方が、よっぽど有意義なようにも思える。意外な場面で散財していると思うと、少し恐ろしく感じる。

理想的な課金方法

ここまで、以下について述べてきた。

  • 課金のメリット、デメリット
  • 絶対的に悪い課金
  • 課金に対する世間の目

これから考えるに、どのように課金するのが幸せになりやすいのかを考えていきたい。

課金をする前に考えること

課金する予定の金額が大きい場合や、ガチャを回すために課金する場合は、以下に示す内容について考えた後に課金をしようと思う。

無料配布分の石を貯めておく

原神で、原石160個貯まった途端にガチャを引く方がいらっしゃると思いますが、これは得策じゃないかもしれない。次の復刻ガチャ、新キャラガチャなどに備えておけば、そもそも多額の課金をしなくとも天井まで引くことが可能だ。しかも、欲しいと思ったキャラクターがガチャに並んだ時に、撤退ラインを決めたり、課金を始めた後に結果が芳しくなくて諦めるという苦渋の決断をしなくなる可能性が高い。そのため、特に理由がない限りはガチャを引かないほうが良いだろう。

いくら課金すればで満足した結果になるか

一番良くないのは、理想的な結果を得られるまでだらだらと課金を続けてしまうことだ。仮に、理想的な結果を得られたところで後味が悪すぎるし、大きな損失を出してしまう。なので、ある程度金額を絞って、その金額を超えない範囲で課金を楽しむようにすれば良さそうである。

手に入ればこっちのもの

ガチャという楽しみは一瞬だが、手に入れたキャラクターはずっと使うことができる。人によっては、ガチャによる楽しみは一瞬だけだと考える人もいるかもしれないが、ガチャで手に入ったキャラクターはずっと楽しんで扱うことができる。よく考えてみれば、数万という金額が一瞬にしてガチャ石に変換されてしまうと考えると、一瞬にして大金を溶かしたようにも思えるが、大事なのはガチャを引く楽しみではなく、ガチャの結果だ。なので、ガチャのために奮発しても、今後もそのゲームで遊ぶつもりであれば、問題はないと思う。

無益な訳ではない

宝くじやパチンコと言ったギャンブルとは違い、全く利益が出ないということはない。いくらソシャゲのガチャがランダム要素を内包しているとはいっても、何も手に入らないということはない。少なくとも、原神の場合は星5の天井が用意されているし、星4の場合は10回引けば確定で手に入る仕様である。しかも、ピックアップされているキャラが手に入らなかった場合、次にキャラが手に入るときには確定でピックアップキャラが手に入るようになっている。かなり親切だと思う。なので、ガチャ課金が馬鹿らしいとは言っても、そこまで憂慮するほどのことではないと思うし、本当に欲しいと思ったキャラクターだったり、他の友人とゲームを楽しみたい出会ったりする場合は、むしろ引いた方が幸せになれると思う。

中毒性が高い事は間違いない

「次こそ出るだろう」とか「次は何が出るだろう」といった不確定な未来に対する期待からくる中毒性や、「他者より優位に立ちたい」とか「ゲームの流行に乗っかっていたい」といった純粋な"強さ"に対する欲求が、中毒性の原因なのかもしれないと考えた。これらを理由に、課金によって沼にはまる人もいるだろう。いくら課金しようとも、この中毒性が高さを忘れてはならない。

結論

というわけで、ここまで可能な限り多角的に考察をしてきたが結局のところ正解を出すのは難しい。しかし、課金するかどうかの判断は、個人の見方次第で大きいく変わると思う。ガチャ課金を無駄な浪費だとみなせば、課金に対して否定的な意見を持つだろう。しかし、ゲームも遊びであり趣味である。時には、現実世界でもコミュニケーションの起点ともなりうる。それを、「課金はよくない」の一点張りで片づけるのは良くない。なので、少なくとも悪い結果を生むような課金をしないようにすることを絶対に意識したい。そのほかに、可能な限り少ない金額で望んだ結果を手に入れようと思わない事も重要だ。

おまけ

最後に、課金したいという感情があっても、どうしても課金をできない状況(もしくは、課金する事が許せないプライド)の二つの感情が衝突したときに、どのように対処すればよいかを考えたい。

課金欲を鎮める方法

高ぶる課金欲を鎮める方をいくつか考えたので紹介する。

他のゲームをする

課金をしたいと感じる原因は、そのゲームに夢中になっているからであろう。夢中になっていないゲームに対して課金することは、まずないと思っている。例えば、廃課金者を対象にした記事を目にしたとき、「○○〇〇というゲームにこれまでに年間数十万の課金をしています」などと表現されることはよくあることだと思う。それを見た読者は「よくも○○○○にそこまで本気になれるな」といった感情を抱くのではないだろうか?そう思ってしまう原因としては、読者の多くがそのゲームをプレイしているとは限らないからだと考えている。なので、一つのゲームに集中するのではなく、いくつかのゲームを分散してプレイする事が、異常な課金欲をそそらなくさせる策なのではないかと考えている。

他者と会話する

他者と会話することは、人間関係を豊かにするだけでなく、自分の知らない世界を知ることにもつながる。なので、ゲームのことばかりを考えるのではなく、ゲーム以外の要素に注目しているうちに、課金に対する興味が冷めてくるかもしれない。しかも、相手と会話することによるアウトプットで、自己開示による信頼性の向上にもつながる。

課金の理由をアウトプット

まさに今の私である。これは、悩み全体に言えることだろう。どんなことであ、紙でもブログでも他者でも、自分の悩みを吐き出してみることで客観的にその悩みを見ることができる。最近では、悩みの解決手段として有名になりつつある方法だが、これは本当に効果があると思うので、どんな悩みであっても試してみたい。これのいいところは、紙に書いてアウトプットすることができるので、人に話すのが恥ずかしい悩みでも問題ないという事だ。

新たなことを始める

これは、他のゲームをするという項目に少し似た部分があるが、何か新しい事を始めるというのも手段の一つだ。例えば、ブログを書いてみるとか、ゲームをするのではなく創ってみるとか、普段は読まない本を読んでみるといった具合である。できるだけ、今自分が夢中になっているゲーム以外の部分に興味を分散させるように努力すれば、うまくいくかもしれない。

というわけで、以上で終わります。